Research
LYR Performance Note #015 モデル

「文脈を足せば賢くなる」は、半分ウソだった

RAG・文脈注入で埋まるのは"知識不足"だけ——"読解の容量不足"は、答えを目の前に置いても埋まらない

2026-07-22 シリーズ第5回 10 min 文脈RAG容量律速計測LLM

「文脈を足せば賢くなる」は、半分だけ本当だった。

埋まるのは調べれば分かる穴だけだ。話者・固有名・省略主語は文脈で埋まった(13-0)。だが深い読解と語り口は、答えを目の前に置いても埋まらない——そこは器(容量)の問題で、材料の問題ではない。

本番同型の総当たりでは、文脈をどう入れても27Bへの敗北率は 76% / 75% / 76% と動かなかった。しかもいちばん高い手(学習で焼く)は、いちばん安い手(その場で貼る)を超えられなかった(出力94%一致)。自分の問題がどちらの半分かは、投資する前に見分けられる。

「モデルが賢くないなら、文脈を足せばいい」——これは、いまのAI開発でいちばん人気のある処方箋だ。RAG(検索してきた資料をプロンプトに一緒に渡す仕組み)も、この発想の延長にある。前後の情報を与えれば、モデルは”文脈を読んで”正しく答える、と。

私もそう思っていた。字幕翻訳で、小さな自前モデル(8B=パラメータ80億)が、巨大モデル(27B=270億)に読解で負ける。ならば前後のセリフを一緒に渡せば、小さいモデルも追いつくのではないか——投資する前に、測った。

結果は、きれいに半分に割れた。半分は本当で、半分はウソだった。そして、そのウソを見抜けなければ、無駄な学習投資に何週間も注ぎ込むところだった。しかも——自分の問題がどちらの半分かは、投資する前に見分けられる。調べれば分かる穴なら文脈で安く埋まり、読解の器の不足ならサイズにしか効かない。この切り分けが、RAGに賭けるかモデルに賭けるかを決める。

まず——文脈は、たしかに効いた

最初の実験は、上界を測ることだった。「もし文脈が完璧なら、小型モデルはどれだけ良くなるか」。話者の性別、固有名の正しい読み、省略された主語——場面の状態を全知の状態で用意し、完璧な文脈を渡した版と、渡さない現行版を、同じ8Bモデルで対決させた。

判定はpairwise(2つの訳を並べ、どちらが良いかを1件ずつ選ぶ方式。総合点を付けるより符号がぶれない)。あるドラマ4話・86件で測った結果——

完璧な文脈あり 40勝 / なし 22勝 / 24分。決着ベース(引き分けを除いた分母)で65%、統計的に有意(p≈0.03)。文脈は、たしかに効いた。ここまでは処方箋どおりだ。

——でも、“効いた中身”を分解すると

問題はここからだった。何が効いたのかを、軸ごとにばらして数え直した。

効いた軸勝敗
話者の性別(俺/私・口調)8-0
固有名(読み・音写の固定)3-0
省略主語の復元(誰が誰に)2-0
— 合計(clean)13-0(p≈0.0001)
場面に合った語り口(register)4-4(引き分け)
語の選択7-10(むしろ逆効果)
意味の正誤(否定・逆転)0-1(動かず)

(軸は網羅ではなく、1件が複数の軸に該当することもある。だから各軸を足しても、全体の40勝/22敗とは一致しない。)

見てのとおり、効いたのは上の3軸——話者の性別・固有名・省略主語——に、ほぼ全部が凝縮していた。そして、この3つには共通点がある。どれも「調べれば分かること」だ。誰が喋っているか、その名前はどう読むか、省略された主語は誰か。台本を見れば載っている、知識の穴だ。

一方、場面の語り口(register)は引き分け意味の正誤は動かなかった。文脈という材料を目の前に置いても、8Bはそれを訳し分けられない。ここは知識の穴ではなく、読解と表現の器の問題だった。

ちなみに、少し前まで私は「文脈は効かない/互角だ」と結論していた。それは貧しい文脈を、ぶれる採点で測っていたからだ。効く成分(性別)と効かない成分(語り口)を1つの総合点に混ぜると、互いに打ち消し合って”互角”に見える。軸を分解して初めて、13-0という符号が見えたマニフェスト第1原則「まず計測せよ」——測り方まで含めて)。

本丸——文脈で、小型は巨大に追いつくか

上界実験は「完璧な文脈なら効く軸がある」と教えてくれた。では実務の問い——前後のセリフを渡せば、8Bは27Bに追いつくのか。ここが投資判断の分かれ目だ。

マンガ434件・日本語→英語で、自前8Bと巨大27Bを戦わせた。本番とまったく同じプロンプト形式、生成のランダムさはゼロに固定(temp0=毎回同じ答えが出る条件。実験の変数を濁さないため)。そのうえで、文脈の入れ方だけを3通りに変え、他をすべて同条件にそろえて比べた:

  • A:文脈なし(現行)
  • B:文脈をその場でプロンプトに注入
  • C:文脈を”学習”で焼き込む(context-aware CPO=文脈付きで好みを学ばせた版)

そして、それぞれを27Bと対戦させ、27Bへの敗北率(引き分けを除いた決着ベース)を見た。

動かない 76% 文脈なし 75% プロンプト注入 76% 文脈を学習
図1:27Bへの敗北率は、文脈の入れ方で動かない。文脈なし76% / プロンプト注入75% / 文脈を学習76%。どう入れても差はびくとも動かなかった。
注:マンガ434件・temp0・決着ベース(引き分けを除く)。

文脈なし76% → プロンプト注入75% → 文脈を学習76%(この総当たりはすべて同一のtemp0 run)。文脈をどう入れても、27Bとの差はびくとも動かなかった。この温度0の決着ベースでは、8Bが27Bに”強く勝った”件数は、3条件を通じてゼロだった。

答えが目の前にあっても、使えない

なぜ動かないのか。文脈を実際に渡して再生成した版(プロンプト注入)の出力を並べて、腑に落ちた。8Bは、正しい文脈が目の前にあっても、それを使いこなせない。以下はいずれも、その文脈込みの出力だ。

  • 「太陽に溶かされて」(直前のセリフ=翼の詩、が渡してある)→ 8Bは主語を取り違えて “I’d be melted”、27Bは正しく “they melt”
  • 「天文部を頼む」(文脈=お前に)→ 8Bは方向を逆に訳し、27Bは正しく “I want you to help”
  • 「相川仁」→ 8Bは読みを外して “Masaru”、27Bは “Jin”

材料(文脈)は同じように渡してある。それでも差が出る。つまり——文脈を”使う”力そのものが、モデルの容量に律速されている。知識を目の前に置いても、それを読み解く器が足りなければ、使えないのだ。

だめ押しの兆候もあった。長い文脈を渡すと、8Bは出力フォーマットが崩れた件数が19件(27Bは4件)。器の限界は、正確さだけでなく、こういう頑健性の低下としても顔を出す。

「学習で焼く」は、「その場で渡す」を1ミリも超えなかった

最後に、いちばんお金のかかる選択肢——文脈を学習で焼き込む(C)——を検証した。その場でプロンプトに入れる(B)のではなく、文脈付きのデータで好みを学ばせれば、文脈をもっと上手に使えるようになるのでは、という期待だ。

結果は、身も蓋もなかった。学習した版(C)と、その場で渡す版(B)は、temp0での出力が94%一致(差はわずか6%、しかも些末)。256組の教材でわざわざ学習させても、プロンプトにその場で貼り付けるのと、実質同じだった。→ この学習は不採用

文脈エンジニアリングは必要だ。でも、それは「プロンプトにその場で渡す」で十分であって、学習で焼き込む価値はなかった。そして何より——文脈をどう工夫しても、8B単体では27Bに届かない。この差を閉じるのは、文脈ではなく、モデルの器(より大きなbase)の側の仕事だった(マニフェスト第2原則・まだ、安く・速くできる——ここでは”文脈だけを最適化するな”。律速は文脈でなく器の側だった)。

教訓

  1. 文脈で解けるのは”知識不足”、理解の壁は”容量”。 話者・固有名・省略主語のような「調べれば分かる穴」は、文脈やRAGで埋まる(13-0で有意)。だが深い読解や語り口は、材料を渡しても埋まらない——モデルの器が要る。RAGは前者の特効薬で、後者には効かない。両者を切り分けてから投資する。

  2. 効く成分と、容量律速を、混ぜて測るな。 効く軸(性別8-0)と効かない軸(語り口4-4)を1つの総合点に混ぜると、打ち消し合って”互角”に見え、符号を読み違える。軸を分解して初めて、何が効いて何が効かないかが見えるマニフェスト第1原則)。実際、混ぜて測って一度「文脈は効かない」と誤結論した。

  3. いちばん高い選択肢が、いちばん安い選択肢を超えないこともある。 文脈を学習で焼くのは、プロンプトに貼るのを94%一致で超えられなかった。しかも知識を渡しても、読めなければ使えない——8Bは正しい文脈が目の前にあっても主語と固有名を外した。安い手と高い手を、投資の前に同じ土俵で測る。

文脈を足せば賢くなる——は、半分だけ本当だ。埋まるのは「調べれば分かる穴」。理解の壁は、結局モデルの容量であり、賢さだけを追ってもリアルタイムでは使えないのと同じで、文脈だけを追っても、器の壁は越えられない


付録:生データ

本文で触れていない測定条件・判定手法・別runとの照合のみ。

実験結果条件・留保
上界実験(完璧な文脈 vs なし)40勝 / 22敗 / 24分、p≈0.030ドラマ4話・8B-SFT・temp0・pairwise、n=86。4話すべて同方向
軸分解(効いた側)gender 8-0 + name 3-0 + subject 2-013-0(p≈0.0001)spot-check済(俺→私・音写固定・主語補完)
軸分解(効かない側)register 4-4 wash/word-choice 7-10(やや逆効果)/polarity 0-11件が複数軸に重複しうるため、合計は上界の40/22と一致しない
本丸の総当たり(temp0)27Bへの敗北率=文脈なし 76% / プロンプト注入 75% / 文脈学習 76%マンガ434件・本番テンプレ一致・pairwise。同一runで8Bの強勝ち=0
別runとの照合生の勝敗 n=419 → 決着ベース 76%temp0 runと独立に一致。強勝ち0/3の食い違いはrunの違い
学習は注入を超えない学習とその場注入が temp0 で出力94%一致 → 不採用context-aware CPO 256組。文脈の素の効果 72:57(56%)だが27Bも同様に助かる
フォーマット頑健性8Bは長文脈でJSON破損 19件(27B 4件)長文脈のコストは品質だけではない

本文の出力例(「太陽に溶かされて」「天文部を頼む」「相川仁」)は、いずれもプロンプト注入で再生成した版の出力。