Research
LYR Performance Note #016 モデル

最下位率を64%→24%に下げ、最上位率の低下は12ptに抑えた

最高の翻訳より、最悪を減らすほうが効いた——製品の価値は「天井」でなく「床」にある

2026-07-22 シリーズ第6回 11 min 量子化品質tailUX計測

最下位率を 64% → 24%(−40pt)へ大幅に削り、最上位率の低下は 24% → 12%(−12pt)の小幅に抑えた。 差し出した3件に対し、返上した最下位は10件だ(25件中)。

字幕製品でユーザー体験を壊すのは、平均でも最高でもなく、たった一度の最悪だ。だから狙う場所を、天井(最高品質)から床(最悪の一回)へ移した。天井を少し差し出して、床を買った。

平均一致率(89〜96%)は、この改善をまったく捉えない。問題がtailにあるなら、平均はそれを薄めるからだ。天井と床は、別々に動かせる——先に決めるべきは、どちらを動かすかだった。

測り方:難所25件を3構成(圧縮のみ/+rotation/圧縮前)で訳し、盲検で順位づけ。最下位率/最上位率=3構成のなかで最下位/最上位になった割合(それぞれ3構成の合計=100%)。最下位率は大事故の代理指標として使う——最下位に落ちた訳の大半が致命的な崩れであることは、目視で確認している。

最上位率(高いほど良い) 最下位率(低いほど良い) 64% 44% 24% 0 24% 64% 圧縮のみ 当たり外れが大きい 12% 24% +rotation 外さない 64% 12% (参考)圧縮前 床の理想 最下位率 −40pt 大きく削れた(代償より3倍以上) 最上位率 −12pt ※ 3構成の順位づけなので、最上位率どうし・最下位率どうしの合計は、それぞれ100%になる。
図1:最上位率と最下位率の比較。3構成のなかで最上位/最下位になった割合。rotationを入れると最下位率は 64% → 24%(−40pt)と大きく削れ、代償である最上位率の低下は 24% → 12%(−12pt)にとどまる。参考の圧縮前は、その裏返し(最上位率64% / 最下位率12%)。
注:held-out ドラマ 25 hard cases、盲検順位づけ。相対順位なので、最上位率どうし・最下位率どうしの合計はそれぞれ100%になる。

自前の小さなモデルを、4分の1に圧縮した(量子化)。速く、安くなった。品質も、平均で見ればほとんど落ちていない。数字の上では、文句のつけようがなかった。

ところが、実際に訳を並べて読むと、時々ぎょっとするものが混じっていた。日本語のセリフが、日本語のまま返ってくる。登場人物の性別が入れ替わる。固有名詞が別物に化ける。頻度は低い。だが、字幕でこれが一度起きると、没入は一瞬で壊れる。

平均は同じなのに、体験はまるで違う。この食い違いを詰めていったら、「品質」という言葉の使い方そのものを、作り直すことになった。製品に効いていたのは、天井(最高品質)ではなく、床(最悪の一回)だった。

平均で見ると、差が消える

まず、何が起きていたか。

強い圧縮(INT4=重みの数字を4ビットに丸める)をかけたモデルは、当たり外れが激しかった。わざと難しく選んだ25個のセリフ(held-outの難所)を、3つの構成で訳し、上位モデルに盲検で順位づけさせる。以下の数字はすべて、この25件のなかでの相対順位だ(本番全体の発生率ではない)。すると、こうなった。

  • 圧縮モデルの最上位率(いちばん良い訳だった割合):6件/25 = 24%
  • 圧縮モデルの最下位率(いちばん悪い訳だった割合):16件/25 = 64%

最高を出すこともあれば、最悪を出すことも多い。ばらつきが大きい——専門的にはbimodal(二峰性=良い山と悪い山に割れる)という。当たれば絶品、外すと事故。字幕として、これは使えない。

ところが、この危うさは平均を見ても出てこない。圧縮前と圧縮後で、生成トークンの一致率を測ると、こうだった。

指標圧縮前圧縮後(INT4)
一致率(一般テキスト)89.5%89.8%
一致率(日→英)95.6%95.3%

差は、ほぼゼロ。この数字だけ見て「劣化なし」と結論していたら、事故を見逃していた。

なぜ平均が鈍いのか。圧縮の損失は、全体の1割強の”きわどい”判断にだけ集中する(第1回で書いた話だ)。残り9割は圧縮前と同じ答えを返すので、平均一致率はその9割に薄められる。平均は、tail(最悪の側)を希釈してしまう。 効いていたのは、平均に埋もれた1割強のほうだった。

たった一度のechoが、なぜ致命的か

なぜ「最悪の一回」をそこまで重く見るのか。

字幕翻訳の北極星は、「存在感のない字幕」だ。訳が自然に画面に溶けていて、ユーザーは翻訳されていることすら忘れている——それが最高の状態だ。ところが、日本語のセリフが日本語のまま出る(echo=訳さず原文をそのまま返す失敗)と、その瞬間に「あ、これ機械翻訳だ」と我に返る。没入は連続量ではない。一度切れたら、ゼロに戻る。

これはボトルネックの記事で書いた「致命的な崩れ」と同じ構造だ。100回のうち99回が完璧でも、1回のechoが体験全体の印象を決めてしまう。ユーザーは平均を体験しない。最悪を体験する。

だから、追うべき指標は平均品質ではなかった。床——最悪時の品質だ。事故率とは、この床を裏返して測ったもの(低いほど床が高い)にすぎない。

ではどう測るか。この記事の看板数字(64%→24%)は、上の難所25件で「3モデル中いちばん悪い訳=最下位を出した割合」——最下位率だ。相対順位なので、最下位=即致命的とは限らない(圧縮前ですら12%は最下位に回る)。ただし最下位に落ちた訳を1件ずつ目視すると、その大半が性別反転・固有名破壊・主客の取り違え・echoといった致命的な崩れだった。だから最下位率は、大事故の代理指標としてそのまま使える——以降の「大事故率」はこの意味だ。

天井は上げず、床だけを上げる

では、どうやって大事故を減らすか。

ここで効いたのが、rotation(回転)という補正だ。圧縮の前に、モデルの重みを数学的に”回転”させておくと、丸め誤差が一部の数字に集中せず、全体に薄く散る。きわどい判断が誤差でひっくり返りにくくなる——tailの崩れを、狙って抑える技術だ。

縦=1つの重みに乗る丸め誤差/横=重みを並べたもの 回転なし 回転あり 回転 誤差が数個に集中 → きわどい判断がひっくり返る(大事故) 誤差が薄く均等に散る → 大崩れしない(tailを抑える)
図2:rotation(回転)が、誤差に何をするか。回転なしでは丸め誤差が数個の重みに集中し、きわどい判断がひっくり返る。回転ありでは誤差が全体へ薄く均等に散り、大崩れしなくなる。

これを入れて、同じ25ケースを測り直した。

圧縮のみ+rotation(参考)圧縮前
echo残留4回0回0回
最下位率(=大事故の代理)64%(16件)24%(6件)12%(3件)
最上位率24%(6件)12%(3件)64%(16件)

読み方に注意がいる。最上位率は下がった(24%→12%)。rotationは、モデルを”最高に賢く”はしていない。だが最下位率は 64%→24% へ、ほぼ3分の1に落ちた(平均順位でも2.40→2.12)。下げ幅は −12pt に対して −40pt——差し出した分より、返ってきた分がはるかに大きい。echoに至っては4回から0回。最悪時の品質=床が、圧縮前(12%)に、ぐっと近づいた。

一般テキストの困惑度(ppl=モデルの”自信のなさ”の指標、低いほど良い)も、圧縮で10.65へ悪化していたのが、rotationで9.95まで下がって戻り、圧縮前(9.94)にほぼ並んだ。最上位率がわずかに下がる代わりに、崩れていた床——最悪側の品質——が回復したのだ。

製品としては、これで十分だった。最高の訳を1回増やすことより、最悪の訳を10回減らすことのほうが、字幕という製品には効く。天井を捨てて、床を選んだ。

(この「天井か床か」の選択そのものは、Paretoの記事で”操作点の選び方”として触れた。あそこでは方法A=圧縮のみ、方法B=rotationとして並べた。この記事は、その一点を測定の中身まで掘り下げたものだ。どちらが”優れている”かではなく、製品がどの軸を必要とするか、で座る場所が決まる。)

天井は戻らない。そして自動指標は、事故を隠す

まず、勝ち切ってはいない。rotationが戻すのは床であって、天井は戻らない——圧縮前(最上位率64%/平均順位1.48)には届かないままだ。圧縮で失った最高品質は、この補正では取り返せない。

そしてもう一つ。この一件で、いちばん怖かったのは技術の話ではない。最初に信じた指標が、事故を見えなくしていたことだ。

一致率89〜96%——立派な数字だ。これを合格基準にしていたら、圧縮モデルは「ほぼ無劣化」で通過し、echoを吐きながら本番に出ていた。指標が間違っていたのではない。そして「平均だからダメ」でもない——同じ平均でも、ppl(困惑度)は床の回復をちゃんと捉えた。問題は、その指標が何を薄めるかだ。トークン一致率は、事故の起きる少数を大多数の”問題ない部分”で薄めてしまい、いちばん知りたい最悪ケースが構造的に見えなくなっていた。tailが問題の場面では、使う平均が何を希釈するかを疑い、必要なら最悪ケースを直接数える。

結局、事故を捉えたのは、生成した訳を人手で読み、致命的な崩れを1件ずつ数える——という素朴な作業だった。ここは今も自動化できていない。自動指標が鈍いなら、tailを直接数えるしかない。measure(測る)対象を、平均から最悪へ、一段ずらす。それだけのことに、危うく気づかないところだった。

教訓

  1. 製品の価値は、天井でなく床にある。 一度の崩れが体験を壊す製品では、床がそのままKPIになる。受け入れ基準は「平均◯点以上」でなく「最悪ケース率◯%以下」で書く——ユーザーは平均を体験しない、最悪を体験する。

  2. その平均指標が「何を薄めるか」を疑う。 すべての平均が悪いわけではない(pplは床の回復を捉えた)。だがトークン一致率89〜96%は、事故の起きる1割強を大多数の”問題ない部分”で薄めていた。問題がtailにあるなら、最悪ケースを直接数える指標に替える。

  3. 天井と床は、別々に動かせる。 最下位率を64%→24%(−40pt)へ大きく削り、最上位率の低下は24%→12%(−12pt)に抑えた。差し出した3件に対し、返上した最下位は10件だ。「全体を良くする」でなく「どの部分を良くしたいか」を先に決める。伸ばす場所を取り違えると、正しい技術でも空振りする。

マニフェストの3番目の原則——「ユーザー体験の代理指標を、正しく選ぶ」、なかでも「良い代理指標は平均でなく、最悪の一回(tail)を見る」——を、いちばん素朴な形で突きつけられたのがこの一件だった。速さでも品質でも、効いてくるのはいつも分布の端のほうだ。


付録:生データ

対象: 自前8Bモデル、held-outドラマ 25 hard cases、本番と同じ自由生成を上位モデルで盲検順位づけ。

指標圧縮のみ → +rotation条件・留保
最下位率(大事故の代理)64% → 24%圧縮前BF16の12%に接近
echo残留(原文丸写し)4回 → 0回
平均順位 / ppl2.40 → 2.12 / 10.65 → 9.95ppl は圧縮前BF16の9.94にほぼ一致
分布の形1位6件・最下位16件(bimodal) → 1位3件・最下位6件圧縮前BF16(1位16件・平均順位1.48)には及ばず=天井は戻らないが床は戻る
平均指標の鈍さ一致率 一般 89.5→89.8%、日→英 95.6→95.3%(Δ≈0)直しているのは固有名・代名詞といったtailで、平均一致率はそれを希釈する=判定に使わない
rotation とは重みを回転させ量子化の丸め誤差を分散させる補正天井でなく床を回復するための仕上げ

一般則: 圧縮モデルの評価は必ず本番と同じ量子化・自由生成で、平均でなく最悪ケース率を主KPIに(量子化は微調整を削るの評価原則と同根)。