品質を測る前に、失格になるAIがある
モデル選定で、品質より先に見るべき"足切り"
リアルタイム字幕翻訳では、いちばん賢いモデルが最初に脱落する。品質が低いからではない。答える前に「考えて」しまうからだ。
モデル選定には、品質を測る前の足切りがある——思考を止められるか、決まった形式で必ず返せるか。ここを満たさないモデルは、賢くても使えない。
そして足切りを揃えて測り直すと、常識のほうが崩れた。短い出力では、軽量モデルは速くない。モデル間の生成速度差は、通信と待ちに飲まれて消える。
翻訳に使うモデルを選ぶとき、私は素朴に「品質がいちばん高いものを選べばいい」と思っていた。ベンチマークを回して、いちばん賢いモデルを選ぶ。当然の話に見える。
でも、リアルタイム字幕翻訳では、この当然が通用しなかった。品質を測る前に、多くのモデルが”足切り”で脱落するからだ。しかもその足切り条件は、最初はまったく見えていなかった。
モデルは、翻訳する前に”考えて”いた
第1回で書いたとおり、私はレイテンシを分解して、あるモデルが1行の翻訳に500トークン以上の思考を吐いていたことに気づいた(トークン27倍・コスト5倍・レイテンシ4倍)。賢いモデルは答える前に”考える”——人間には見えない思考の下書きを大量に生成する。難問には有効だが、機械的な1行翻訳では、その思考は完全に無駄だ。
ここで、足切り条件が生まれた
この一件から、モデル選定の必要条件が定まった。品質を測る前に、まずこれを満たすかどうか。
思考(reasoning)をオフにできるか。
これは些細な設定に見えて、実は生死を分ける。
- あるモデル(Qwen3系)は、思考を完全にオフにする設定があった。1行の翻訳が、思考ゼロで即座に返る。
- 別のモデル(gpt-oss系)は、思考を「弱・中・強」には設定できても、完全にオフにできなかった。結果、思考が出力枠を食い潰し、100件中26件で生成そのものが失敗した。品質(内容の良し悪し)は悪くないのに、構造的にリアルタイム失格だった。
賢さ(品質)は十分条件。思考オフ(と、決まった形式で必ず出力できること)は必要条件。必要条件を満たさないモデルは、どれだけ賢くても土俵に上がれない。これは、実際に3モデルを本番同型で測って初めて腑に落ちた。
| モデル | リアルタイム成功率 | 生成 p50 | 判定 |
|---|---|---|---|
| 思考オフ可・高速なモデル | 96% | 242 ms | ✅ |
| 前・本番モデル | 94% | 438 ms | ⚠ 別の理由で後に退役 |
| 賢いが思考オフ不可のモデル | 71%(※26%が生成失敗) | 518 ms | ❌ 失格 |
※リアルタイム成功率=本番と同じ条件で投げて、締め切り内に有効な訳(空でなく、決まった形式で返る)が得られた割合。「26%が生成失敗」は、思考が出力枠を食い潰し、訳が最後まで返らなかったケースを指す。
「速い=小さいモデル」も、思い込みだった
ついでに、もうひとつの当然も崩れた。「軽いモデルのほうが速いはずだ」というものだ。
そもそも、なぜ最初に軽量モデルを使っていたのか。理由は速さと安さだった。ところが、いざ品質の壁にぶつかってプロンプトや文脈をあらゆる形で12通り試しても、品質は頭打ち(=軽量モデルの天井)。次の一手として、初めてモデルそのものを変えるという選択肢を、完全に公平な条件(300件・同一プロンプト)で測った。
| モデル | 品質(合格率) | 生成 中央値 | コスト |
|---|---|---|---|
| 軽量モデル | 69.7% | 308 ms | 1.0x |
| 中型モデル(思考オフ) | 84.3%(+14.7pt) | 253 ms | 5.2x |
| 大型モデル | 87.7%(+18.0pt) | 320 ms | 11.6x |
驚いたのは、中型モデルが軽量モデルより”速かった”ことだ(253ms < 308ms)。
理由は、ユーザーが待つ時間の作られ方にある。体感の待ち時間は、生成だけで決まらない。
E2E = 待ち行列(Queue) + 通信(Network) + 生成(Inference)
このうちモデルを小さくして削れるのは、最後の1項だけだ。そして短い出力では、その1項が全体の中で最も小さい。
注:生成は本記事の公平比較(N=300)、待ち行列・通信は同時期の本番実測。組み合わせは概算。
つまり「軽量=速い」は、E2Eのうち1項だけを見た結論だった。生成だけなら軽量と大型で1.27倍の差があるが、待ちと距離を含めた実際の待ち時間では1.02倍——モデルを小さくしても、ユーザーの体感はほとんど動かない。これは マニフェストの2番目の原則——「まだ、安く・速くできる」。隔離ベンチではなく、本番の全体像で制約を測り直す——の、モデル選定版だ。
軽量モデルの唯一の優位は、安さだけだった(この”安さ”が、のちに思わぬ形で牙を剥く——第4回)。
では、どのモデルを選んだか
足切りを通り、品質でも中型が軽量を+14.7pt上回り、速度でも勝った。では、大型(+18.0pt)まで行くべきか。私は中型を選んだ。大型は品質でさらに+3.4ptだが、コストは中型の2倍以上(5.2x→11.6x)。字幕翻訳では、その3.4ptに倍のコストは見合わない。必要条件(思考オフ)を満たし、品質とコストの釣り合いが最良の一点——それが中型だった。(この「勝者を選ぶのでなく、一長一短の選択肢から自分に合う一点を選ぶ」という考え方は、Paretoで改めて。)
教訓
- 品質の前に、足切り条件がある。 「思考をオフにできるか」「決まった形式で必ず返せるか」——リアルタイム用途では、これを満たさないモデルは賢くても失格。必要条件と十分条件を分けて考える。
- 賢さは、いつでも正義ではない。 機械的タスクにとって”過剰な賢さ”は、コストとレイテンシの純負債になる。
- 「軽い=速い」を疑え。 短い出力では速度差が通信と待ちに飲まれて消え、いちばん速いのはいちばん小さいモデルではなかった。しかもこの足切り条件は、仕様書ではなくログで見つかった。ボトルネックが変わると、常識は反転する。
付録:生データ
| 項目 | 実測 | 条件・留保 |
|---|---|---|
| 思考の暴発 | 1行翻訳(想定出力18トークン)に思考トレース500超 → トークン27x / コスト5x / レイテンシ4x | 設定で完全オフにできるモデルと、できないモデルがある |
| 3モデルの足切り(本番同型) | リアルタイム成功率 96% / 94% / 71%、生成 p50 = 242 / 438 / 518ms | 71%のモデルは思考が出力枠を食い、26%が生成失敗 |
| 品質の公平比較 | 軽量 69.7% / 中型 84.3%(+14.7pt, 253ms, 5.2x)/ 大型 87.7%(+18.0pt, 320ms, 11.6x) | N=300・同一プロンプト・人手校正judge |
| 「軽量=速い」の否定 | 生成 p50 の差 242〜518ms は、通信込みのE2Eでは相対的に縮む | 短い出力では往復・待ちが支配的 |